【2026年版】男性更年期症候群(LOH症候群)——「最近どうも調子が出ない」は年のせい?最新エビデンスから検査と治療の必要性を見極める

【2026年版】男性更年期症候群(LOH症候群)——「最近どうも調子が出ない」は年のせい?最新エビデンスから検査と治療の必要性を見極める

目次

はじめに:「なんとなくの不調」を抱える中年男性へ

40代後半、仕事の責任は増す一方なのに、なぜか以前のように「やる気」が湧いてこない。朝起きても疲れが取れず、週末に趣味のゴルフに出かけても、かつてのような高揚感がない。妻との関係も、なんとなく距離ができた気がする——。

こうした漠然とした不調を感じている男性は、実は少なくありません。「年だから仕方ない」「ストレスが溜まっているだけ」と自分に言い聞かせ、やり過ごしている方も多いでしょう。

しかし近年、この「なんとなくの不調」の一部に、テストステロン(男性ホルモン)の低下という明確な生物学的原因があることがわかってきました。医学的には「LOH症候群」(加齢男性性腺機能低下症候群)と呼ばれ、日本には潜在患者が約600万人いると推計されています。

ただし、ここで強調しておきたいことがあります。テストステロンが低いこと自体が、必ずしも「病気」を意味するわけではないということです。厳密な基準で「真のLOH症候群」と診断できるのは、中高年男性のわずか2.1%に過ぎません [2]。

つまり、「男性更年期かもしれない」と感じている方の多くは、実際にはホルモン補充が必要ない可能性があります。一方で、本当に治療が必要な方が見過ごされている現状もあります。

この記事では、男性更年期の科学的な実態を正確にお伝えし、「自分は治療が必要なのか」を判断するための材料を提供します。不必要な不安を煽ることなく、かといって本当に必要な治療機会を逃さないための、科学に基づいた羅針盤となることを目指します。


男性更年期とは何か——女性の更年期との決定的な違い

なぜ「男性更年期」という言葉が誤解を生むのか

「更年期」という言葉から、多くの方は女性の閉経前後に起こる急激なホルモン変動をイメージするでしょう。ほてり、発汗、気分の変動——そして数年経てば自然に落ち着いていく。

しかし、男性の場合は根本的に異なります。

女性ホルモン(エストロゲン)は閉経を境に急激に減少しますが、男性ホルモン(テストステロン)は20歳代をピークに、毎年1〜2%ずつ緩やかに低下していきます [1]。アメリカ・ボストンで1,709名の男性を7〜10年追跡したMMAS研究(Massachusetts Male Aging Study)によれば、総テストステロンは年1.6%、遊離テストステロン(実際に体内で働く「活性型」)は年2〜3%ずつ減少することがわかっています [6]。

これは「閉経」のような劇的なイベントではなく、長い坂道を少しずつ下りていくようなものです。そのため、いつ症状が出るかは個人差が大きく、40代で症状が出る人もいれば、80代でも元気な人もいます。

日本人特有のテストステロン動態

ここで重要なのは、日本人と欧米人ではテストステロンの低下パターンが異なるという点です [1]。

欧米人では、総テストステロン(血中の全テストステロン量)も加齢とともに明確に低下します。しかし日本人では、総テストステロンの加齢変化は比較的軽度です。代わりに、遊離テストステロン(タンパク質に結合せず、実際に細胞に作用できる形態のテストステロン)が、10年ごとに約9.2%ずつ低下していきます。

なぜこのような違いが生じるのでしょうか?

その鍵を握るのがSHBG(性ホルモン結合グロブリン)というタンパク質です。テストステロンの大部分は血中でこのSHBGと結合した状態で存在し、結合している間は細胞に作用できません。日本人では、加齢に伴いSHBGが増加しやすく、結果として「総量は変わらないが、実際に使える量が減る」という状態になるのです [1]。

この日本人特有の動態が、日本のガイドラインで遊離テストステロンを重視する根拠となっています。


テストステロン低下はなぜ起こるのか——病態生理を理解する

テストステロンがどのように作られ、なぜ加齢とともに低下するのかを理解することは、この症候群を正しく捉える上で重要です。やや専門的な内容になりますが、「なぜ?」を知りたい読者のために、ホルモン調節の仕組みを解説します。

視床下部-下垂体-精巣軸:ホルモンの「司令塔」と「実行部隊」

テストステロンの産生は、脳と精巣が連携する精緻なシステムによって調節されています。このシステムは視床下部-下垂体-精巣軸(HPG軸)と呼ばれます。

1. 視床下部(脳の奥深くにある小さな領域)

視床下部は、テストステロン産生の「最高司令部」です。ここからGnRH(ゴナドトロピン放出ホルモン)という信号物質がパルス状(間欠的)に分泌されます。このパルス状の分泌パターンが、システム全体を適切に機能させる鍵となっています。

2. 下垂体(脳の底部にある小豆大の器官)

視床下部からのGnRHを受け取った下垂体は、2種類の重要なホルモンを分泌します:

  • LH(黄体形成ホルモン): 精巣のライディッヒ細胞に作用し、テストステロン産生を刺激
  • FSH(卵胞刺激ホルモン): 精巣のセルトリ細胞に作用し、精子形成を促進

3. 精巣(テストステロンの「製造工場」)

精巣内のライディッヒ細胞が、テストステロンの約95%を産生します(残り5%は副腎から)。LHの刺激を受けると、コレステロールを原料としてテストステロンを合成・分泌します。

4. ネガティブフィードバック(自動調節機構)

血中テストステロン濃度が上昇すると、視床下部と下垂体に「もう十分だ」という信号が送られ、GnRHとLHの分泌が抑制されます。逆にテストステロンが低下すると、この抑制が解除され、産生が促進されます。これは家庭のエアコンのサーモスタットに似た仕組みで、体内のホルモン濃度を一定に保つ働きをしています。

加齢によるテストステロン低下のメカニズム

では、なぜ加齢とともにこのシステムが機能低下するのでしょうか?研究により、複数のレベルでの変化が明らかになっています:

精巣レベルの変化(原発性性腺機能低下)

  • ライディッヒ細胞の減少: 加齢に伴い、テストステロンを産生するライディッヒ細胞そのものが減少します
  • 細胞機能の低下: 残存するライディッヒ細胞もLHへの反応性が低下します
  • 結果として、同じ刺激を受けても産生されるテストステロン量が減少

視床下部-下垂体レベルの変化(続発性性腺機能低下)

  • GnRHパルスの変化: 視床下部からのGnRH分泌パターンが乱れ、効率的な刺激ができなくなります
  • 下垂体反応性の低下: 下垂体のGnRHへの感受性も低下

混合型の病態

実際の加齢に伴うテストステロン低下は、精巣と脳の両方のレベルで同時に起こる混合型であることがほとんどです。EMAS研究でも、加齢に伴う性腺機能低下は単純に一つの原因では説明できない複雑な病態であることが示されています [2]。


どんな症状が「男性更年期」を示唆するのか——科学が示す意外な答え

「疲れやすい」「やる気が出ない」だけでは診断できない

男性更年期の症状として、よく挙げられるのは以下のようなものです:

身体症状: 疲労感、筋力低下、ほてり・発汗、睡眠障害、肥満
精神症状: 気分の落ち込み、イライラ、集中力低下、意欲減退
性機能症状: 性欲低下、勃起障害(ED)、早朝勃起の消失

しかし、2010年に発表されたEMAS研究(欧州8カ国・3,369名を対象とした画期的研究)は、これらの症状すべてが等しくテストステロン低下と関連しているわけではないことを明らかにしました [2]。

この研究が示した最も重要な発見は、以下の3つの性機能症状がテストステロン低下と最も強く関連しているということです:

重要な発見:厳密な診断基準での有病率

EMAS研究の最も重要な貢献の一つは、「真のLOH症候群」の有病率を明確にしたことです:

  • 3つの性機能症状すべて + 総テストステロン11 nmol/L未満 + 遊離テストステロン220 pmol/L未満を満たす男性:わずか2.1%
  • 年齢別の有病率:40〜49歳で0.1%、50〜59歳で0.6%、60〜69歳で3.2%、70〜79歳で5.1%

この結果は、「中高年男性の不調=男性更年期」という安易な等式に警鐘を鳴らすものでした。

意外なことに、「疲れやすい」「やる気が出ない」「気分が落ち込む」といった身体・精神症状だけでは、テストステロン低下との関連は弱いのです。これらの症状は、ストレス、睡眠不足、うつ病、その他の身体疾患など、さまざまな原因で起こりえます。

つまり、性機能症状を伴わない不調は、LOH症候群以外の原因を疑うべきということになります。逆に、上記3つの性機能症状のうち複数が当てはまる場合は、血液検査を受ける価値があるでしょう。

診断に使われる「AMSスコア」——17項目の質問票

医療機関では、「AMSスコア」(Aging Males’ Symptoms score)という質問票がスクリーニングに使われることがあります。17項目の症状について5段階で評価し、27点以上で「軽度の異常」、37点以上で「中等度以上の異常」と判断されます。

以下に、AMSスコアの17項目すべてを掲載します。ご自身でチェックしてみてください。


【AMSスコア(男性更年期障害質問票)】

評価方法: 各項目について、症状の程度を以下の5段階で評価してください。

  • 1点: 症状なし
  • 2点: 軽い
  • 3点: 中程度
  • 4点: 重い
  • 5点: 非常に重い

【身体症状に関する質問】(7項目)

項目質問内容点数
Q1総合的に調子が思わしくない1・2・3・4・5
Q2関節や筋肉の痛み1・2・3・4・5
Q3ひどい発汗1・2・3・4・5
Q4睡眠の悩み1・2・3・4・5
Q5よく眠くなる、
しばしば疲れを感じる
1・2・3・4・5
Q10筋力の低下を感じる1・2・3・4・5
Q14ヒゲの伸びが遅くなった1・2・3・4・5

【精神・心理症状に関する質問】(5項目)

項目質問内容点数
Q6いらいらする1・2・3・4・5
Q7神経質になった1・2・3・4・5
Q8不安感1・2・3・4・5
Q9くよくよする、やる気がない1・2・3・4・5
Q11憂うつな気分1・2・3・4・5
Q12「自分のピークは過ぎた」と感じる1・2・3・4・5
Q13「力尽きた」「どん底にいる」と感じる1・2・3・4・5

【性機能症状に関する質問】(3項目) ※最も重要

項目質問内容点数
Q15性的能力の衰え1・2・3・4・5
Q16早朝勃起の回数が減少した1・2・3・4・5
Q17性欲の低下1・2・3・4・5

【判定基準】 17項目の合計点で評価

合計点判定推奨される対応
17〜26点正常範囲特に問題なし
27〜36点軽度の異常気になる症状があれば相談を検討
37〜49点中等度の異常医療機関の受診を推奨
50点以上重度の異常早めの受診が必要

【AMSスコアの注意点】

ただし、このスコアはあくまでスクリーニング(ふるい分け)のためのツールであり、これだけで診断が確定するわけではありません。EMAS研究が示したように、AMSスコアに含まれる症状の多くは、テストステロン低下以外の原因でも起こりえます。

特に注意すべきは:

  • AMSスコアが高くても、血液検査でテストステロンが正常であればLOH症候群ではない
  • AMSスコアが高い男性のうち、実際にテストステロンが低下しているのは約半数程度
  • 性機能に関する3項目(Q15〜Q17)が特に重要で、これらが高得点の場合は検査を受ける価値がある

最終的な診断には、血液検査によるテストステロン値の測定が必須です。


診断基準——日本と国際基準の違い、そしてその理由

日本のガイドラインが示す診断基準

2022年に15年ぶりに全面改訂された「LOH症候群 診療の手引き」(日本泌尿器科学会・日本メンズヘルス医学会)では、以下の診断基準が採用されています [1]:

検査項目診断基準値備考
総テストステロン250 ng/dL 未満主たる診断指標
遊離テストステロン7.5 pg/mL 未満補助的診断指標

一方、欧州泌尿器科学会(EAU)のガイドライン2025年版では、総テストステロン350 ng/dL(12 nmol/L)未満を診断基準としています [8]。

なぜこのような違いがあるのでしょうか?

これは先ほど説明した日本人特有の性ホルモン結合型グロブリン(SHBG)が多く、活性型である遊離型テストステロンが減りやすいことを反映しています。日本人では総テストステロンの加齢変化が軽度であるため、国際基準をそのまま適用すると、「正常な加齢変化」を「病気」と誤診してしまうリスクがあります。日本の基準(250 ng/dL)は、日本人男性のデータに基づいて設定されたものです [1]。

検査を受ける際の注意点

テストステロンには日内変動(1日の中での変動)があり、早朝に最も高く、夕方に低下します。そのため、診断のための血液検査は午前中(できれば7〜11時)、空腹の状態で行うことが推奨されています [1]。

診断には2回以上の測定で低値を確認することが国際的に推奨されています [1]。急性の病気(風邪など)の最中はテストステロンが一時的に低下することがあるため、体調の良い時に検査を受けることも重要です。


なぜテストステロン低下を放置してはいけないのか——予後研究が示すリスク

「単なる老化なら、無理に治療しなくてもいいのでは?」と思われるかもしれません。しかし、テストステロン低下を「単なる老化マーカー」と片付けてよいのか、という疑問に答える重要な研究があります。

低テストステロンと死亡リスクの関連

2006年に発表されたShores研究は、米国退役軍人858名(40歳以上)を最大8年間追跡しました [5]。その結果は衝撃的でした:

  • 低テストステロン群(250 ng/dL未満)の死亡率: 34.9%
  • 正常群の死亡率: 20.1%

年齢、BMI、糖尿病、高血圧などの要因を統計的に調整した後でも、低テストステロン群の死亡リスクは1.88倍(95%信頼区間: 1.34-2.63)でした。急性疾患の影響を除外するため初年度の死亡を除いた分析でも、68%の死亡リスク増加が持続しました [5]。

この研究だけでは因果関係は証明できませんが、その後の複数の研究やメタアナリシス(複数の研究を統合して分析する手法)でも、低テストステロンと全死亡・心血管死亡の関連が繰り返し確認されています [1]。

重要な注意点:「相関」と「因果」の違い

ただし、「テストステロンが低いと死亡リスクが高い」ことと、「テストステロンを補充すれば死亡リスクが下がる」ことは、必ずしも同じではありません。

テストステロン低下は、肥満、糖尿病、メタボリックシンドロームなど、他の健康問題と密接に関連しています。MMAS研究では、「見かけ上健康な」男性はテストステロン値が10〜15%高く維持されていることがわかっています [6]。つまり、テストステロン低下は健康状態全般の悪化を反映している可能性があります。

このことは、テストステロン補充療法の効果を考える上で重要なポイントとなります。


テストステロン補充療法——何に効いて、何に効かないのか

TTrials研究が明らかにした「効果の真実」——7つの共同試験が描く詳細な効果像

「テストステロンを補充すれば、若返って元気になる」——そう期待される方も多いでしょう。しかし、科学的なエビデンスは、より複雑で、しかし興味深い現実を示しています。

研究の背景と設計

2016年に発表され*TTrials(Testosterone Trials)は、NIH(米国国立衛生研究所)の資金援助を受けた、テストステロン補充療法(TRT)に関する史上最も包括的な研究プロジェクトです [4]。

この研究が画期的だったのは、単に「効くか効かないか」ではなく、「何に効いて、何に効かないのか」を7つの異なる領域で同時に検証したことです。

試験名評価対象主要評価項目
Sexual Function Trial性機能PDQ-Q4スコア(性的活動の変化)
Physical Function Trial身体機能6分間歩行距離
Vitality Trial活力FACIT-Fatigue スコア
Cognitive Function Trial認知機能視空間記憶、言語記憶
Anemia Trial貧血ヘモグロビン値の正常化
Bone Trial骨密度、骨強度
Cardiovascular Trial心血管冠動脈プラーク体積

対象は65歳以上、テストステロン275 ng/dL(9.5 nmol/L)未満の男性788名。12ヶ月間、毎日テストステロンゲル(AndroGel 1%)を塗布し、血中テストステロンを若年成人の正常範囲(19〜40歳の中央値)に維持しました。

効果が明確に確認された領域——数値で見る改善度

1. 性機能(Sexual Function Trial)

性機能の改善は、TTrialsで最も明確な効果が示された領域です。

評価項目TRT群の改善プラセボ群の改善群間差P値
PDQ-Q4(性的活動)+0.58点-0.02点+0.60点<0.001
性欲(DISF-M-II)+7.6点+1.9点+5.7点<0.001
勃起機能(IIEF)+2.6点+0.9点+1.7点<0.001

PDQ-Q4(Partner’s Daily Questionnaire)は、パートナーが記録する性的活動の頻度と質を測定します。TRT群では、12ヶ月後に性的活動の頻度が約2倍になったことが示されました。

重要なのは、この効果がテストステロン値の上昇度と相関していたことです。テストステロンがより高いレベルに達した男性ほど、性機能の改善が大きかったのです。

2. 貧血(Anemia Trial)

原因不明の貧血を有する男性126名を対象としたサブ試験では、驚くべき結果が得られました。

  • TRT群:54%がヘモグロビン1.0 g/dL以上の増加を達成
  • プラセボ群:15%のみがヘモグロビン1.0 g/dL以上の増加を達成
  • 絶対リスク差:39%(NNT≒2.6)

つまり、約3人に1人の割合で、TRTが臨床的に意味のある貧血改善をもたらすということです。これは、高齢男性の「原因不明の貧血」の一部がテストステロン欠乏に起因する可能性を示唆しています。

3. 骨密度・骨強度(Bone Trial)

211名を対象としたBone Trialでは、QCT(定量的CT)による精密測定が行われました。

部位TRT群の変化プラセボ群の変化P値
腰椎骨密度+7.5%+0.8%<0.001
大腿骨頸部骨密度+3.2%-0.2%<0.001
腰椎骨強度(推定)+10.8%+2.4%<0.001

この骨密度の増加幅は、骨粗鬆症治療薬であるビスホスホネート製剤に匹敵する効果です。ただし、骨折リスクの減少が実際に起こるかは、この試験期間では検証できていません

効果が確認されなかった領域——期待と現実のギャップ

1. 活力・エネルギー(Vitality Trial)

「疲れやすい」「元気が出ない」——LOH症候群を疑う最も多い訴えですが、TTrialsの結果は期待を裏切るものでした。

この結果は、「疲労感」の原因がテストステロン低下だけでは説明できないことを示唆しています。睡眠障害、うつ病、甲状腺機能低下症、慢性疾患など、他の要因の関与を慎重に評価する必要があります。

2. 認知機能(Cognitive Function Trial)

「テストステロンで頭がシャープになる」という期待も、科学的には支持されませんでした。

3. 身体機能(Physical Function Trial)

歩行速度の低下した高齢男性を対象とした試験でも、期待された効果は得られませんでした。

TRAVERSE試験——心血管安全性の決定的エビデンス

テストステロン補充療法には、長らく「心臓に悪いのでは」という懸念がありました。この懸念は、単なる杞憂ではありませんでした。

懸念の背景——なぜFDAは警告を出したのか

2010年、高齢・虚弱な男性を対象としたTOM試験(Testosterone in Older Men with Mobility Limitations)が、心血管イベントの増加を理由に早期中止されました。TRT群で23件、プラセボ群で5件の心血管有害事象が発生したのです。

さらに、2013年と2014年に発表された2つの観察研究が、TRTと心筋梗塞・脳卒中リスク増加の関連を報告。これを受けてFDAは2015年、テストステロン製剤に心血管リスクに関する警告を追加しました。

TTrialsのサブスタディ(Cardiovascular Trial)でも、TRT群で冠動脈プラーク体積が非石灰化プラークで+41mg総プラークで+31mg増加するという、予想外の結果が報告されました [4]。動脈硬化の進行を促進する可能性が示唆され、医療界に衝撃が走りました。

この状況を受け、FDAは製薬会社に対し、心血管安全性を検証する大規模臨床試験の実施を命じました。それがTRAVERSE試験です。

TRAVERSE試験の設計——史上最大のTRT安全性試験

2023年にNew England Journal of Medicineに発表されたTRAVERSE試験(Testosterone Replacement Therapy for Assessment of Long-term Vascular Events and Efficacy Response in Hypogonadal Men)は、TRTの心血管安全性を検証するために特別に設計された、史上最大の前向きランダム化比較試験です [3]。

試験の特徴詳細
登録患者数5,246名(TRT群:2,653名、プラセボ群:2,593名)
対象年齢45〜80歳
選択基準テストステロン<300 ng/dL + 性腺機能低下症状
重要な選択基準心血管疾患の既往または高リスク因子を有する
追跡期間平均33ヶ月(最大75ヶ月)
使用製剤テストステロンゲル1.62%(毎日塗布)
目標テストステロン値350〜750 ng/dL

注目すべきは、この試験が意図的に心血管リスクの高い患者を選んでいる点です。参加者の56%が心血管疾患の既往があり、残りも糖尿病、高血圧、脂質異常症、喫煙などの複数のリスク因子を有していました。

これは、「最も危険な状況でも安全か」を検証するための設計です。ここで安全性が示されれば、一般的な患者集団ではさらに安全であると推論できます。

主要評価項目の結果——心血管死亡・心筋梗塞・脳卒中

TRAVERSE試験の主要評価項目は、MACE(Major Adverse Cardiovascular Events)——心血管死亡、非致死的心筋梗塞、非致死的脳卒中の複合エンドポイントでした。

評価項目TRT群プラセボ群ハザード比95%信頼区間
MACE(複合)182件(7.0%)190件(7.3%)0.960.78-1.17
心血管死亡48件46件1.040.69-1.57
非致死的心筋梗塞111件116件0.960.74-1.25
非致死的脳卒中38件44件0.860.56-1.33

ハザード比0.96は、TRT群とプラセボ群でリスクがほぼ同等であることを意味します。95%信頼区間の上限が1.17であることから、TRTが心血管リスクを17%以上増加させる可能性は統計的に否定されました [3]。

これは「非劣性」の証明——つまり、TRTはプラセボより悪くないことが示されたのです。

サブグループ解析——どの患者でも安全か

TRAVERSE試験では、様々なサブグループでの解析も行われました。

サブグループハザード比95%信頼区間交互作用P値
65歳未満0.920.69-1.220.63
65歳以上1.010.77-1.32
心血管疾患既往あり0.950.74-1.210.85
心血管疾患既往なし0.990.69-1.40
糖尿病あり0.980.75-1.270.79
糖尿病なし0.930.68-1.28
ベースラインT <200 ng/dL0.840.57-1.240.55
ベースラインT 200-300 ng/dL1.010.80-1.27

いずれのサブグループでも、TRT群とプラセボ群の間に有意な差は認められませんでした。年齢、心血管既往の有無、糖尿病の有無に関わらず、TRTの心血管安全性は一貫して示されたのです。

注意が必要な副次的所見

ただし、TRAVERSE試験では以下の有害事象でTRT群の増加が観察されました。

有害事象TRT群プラセボ群ハザード比P値
心房細動91件63件1.460.02
肺塞栓症14件5件2.870.03
急性腎障害122件85件1.460.006

心房細動、肺塞栓症、急性腎障害——これらは主要評価項目には含まれませんでしたが、臨床的に無視できない所見です [3]。

特に肺塞栓症(ハザード比2.87)は、テストステロンが赤血球産生を促進し、血液粘度を上昇させることで血栓リスクを高める機序と一致します。TRT中の定期的なヘマトクリット値(血液濃度の指標)モニタリングの重要性を裏付ける結果です。

TRTの心血管安全性——現在のコンセンサス

TRAVERSE試験の結果を受け、2024年以降の各国ガイドラインでは以下のコンセンサスが形成されています:

「適切な適応と定期的なモニタリングのもとで行われるテストステロン補充療法は、心血管リスクを有する性腺機能低下症男性においても、主要心血管イベントのリスクを増加させない」

ただし、これは「心臓に良い」という意味ではありません。TRTは心血管疾患の予防や治療を目的として行うべきではないという点も、同時に強調されています。

今後の研究の方向性——まだ答えのない問い

TTrialsとTRAVERSE試験という2つの大規模試験により、TRTの効果と安全性に関する理解は大きく前進しました。しかし、科学的に未解決の問いも残されています。

効果に関する未解決の問い:

  • 40〜64歳の中年男性での効果は、65歳以上と同様か?
  • 注射剤はゲル製剤と同等の効果・安全性か?
  • 活力・認知機能が改善する患者サブグループは存在するか?
  • TRTによる性機能改善はPDE5阻害薬(バイアグラ等)との併用で増強されるか?

安全性に関する未解決の問い:

  • 10年以上の長期使用での安全性は?
  • 前立腺がんリスクの長期的影響は?
  • 心房細動・肺塞栓症リスク増加を予測・軽減する方法は?
  • 若年男性(40歳未満)での長期安全性は?

これらの問いに答えるため、現在も世界中で臨床試験が進行中です。科学は常に進歩しており、今後数年で新たなエビデンスが蓄積されることが期待されます。

「前立腺がんのリスク」という誤解

「テストステロン補充は前立腺がんを促進する」——これは1941年のHugginsの研究(ノーベル賞受賞)に端を発する、70年以上続いてきた「常識」でした。

しかし、2009年にMorgentalerらが提唱したSaturation Model(飽和モデル)は、この定説を根本から覆しました [7]。

彼らはHugginsの原著を再検証し、その結論がわずか1例の非去勢患者に基づいていたことを指摘。さらに、前立腺組織のアンドロゲン受容体は約4 nmol/Lで飽和するため、生理的範囲内でのテストステロン変動は前立腺がん増殖に影響しないことを示しました [7]。

現在では、前立腺がん既往者へのTRT使用も慎重に検討されるようになり、複数の臨床研究で安全性が支持されています。ただし、活動性の前立腺がんがある場合は禁忌であり、治療開始前と治療中の定期的なPSA検査は必須です [1][7]。


日本における治療の実際——費用、保険、受診先

日本で使用可能なテストステロン製剤:保険適用と自費の全体像

日本でLOH症候群(男性更年期障害)の治療に使用される薬剤を、保険適用の有無とともに一覧でまとめます。

【図表:日本で使用可能なLOH症候群治療薬一覧】

分類製剤名成分投与方法保険適用薬価/費用投与間隔特徴
注射剤
エナルモンデポー筋注125mgテストステロンエナント酸エステル筋肉注射○ あり692円/1管7〜10日ごと国内標準治療。あすか製薬
エナルモンデポー筋注250mgテストステロンエナント酸エステル筋肉注射○ あり1,297円/1管2〜4週ごと国内標準治療。あすか製薬
外用剤(塗布)
グローミン軟膏テストステロン経皮吸収(塗布)× なし約4,000〜5,000円/本毎日第1類医薬品。大東製薬

※薬価は2025年1月時点の情報です。実際の窓口負担は別途診察料・処置料がかかります。


保険適用の条件と実際の費用

日本で保険適用となるのは、テストステロンエナント酸エステルの筋肉注射のみです [1]。

保険適用の条件:

  1. LOH症候群の症状があること(AMSスコアや問診で確認)
  2. 血液検査でテストステロン値が基準を下回ること
    • 総テストステロン 250 ng/dL 未満、または
    • 遊離テストステロン 7.5 pg/mL 未満
  3. 医師が治療の必要性を認めること

保険診療の場合:具体的な費用例(3割負担)

項目費用(3割負担)備考
初診時合計約3,000〜5,000円初診料や血液検査など
再診時合計(250mg注射)約750〜1,000円
 定期血液検査(3ヶ月ごと推奨)約1,500〜2,500円PSA、ヘマトクリットなど
  • 250mg製剤を月2回投与 + 定期検査(年4回)の場合
  • 約 (1,000円 × 24回) + (2,000円 × 4回) = 約32,000円/年

治療の流れ

  1. 初診: 問診(AMSスコアなど)、血液検査(テストステロン、PSA、肝機能、腎機能など)
  2. 再診(1週間後): 検査結果説明、診断、治療方針決定
  3. 治療開始: 2〜4週ごとの注射、定期的な血液検査
  4. 効果判定: 治療開始後3ヶ月程度で効果を評価

何科を受診すべきか

男性更年期障害を専門的に診断・治療しているのは、主に泌尿器科です [1]。近年は「メンズヘルス外来」「男性更年期外来」を設ける医療機関も増えています。

日本メンズヘルス医学会が認定する「テストステロン治療認定医」のいる施設では、より専門的な治療を受けることができます。学会のウェブサイトで認定医一覧を検索できます [1]。

ただし、症状によっては他の診療科が適切な場合もあります:

  • 心の症状が主: 精神科、心療内科
  • 身体症状が主: 内科
  • 複合的な症状: メンズヘルス外来

特に、うつ病との鑑別は重要です。LOH症候群の症状はうつ病と重なる部分が多く、一部の抗うつ薬はテストステロンを低下させる可能性があるため、誤診は症状の悪化につながりかねません [1]。


テストステロン補充療法を受けられない人

以下に該当する方は、TRTが禁忌(使用できない)または慎重投与となります [1][8]:

絶対禁忌:

  • 活動性の前立腺がん
  • 男性乳がん
  • 重度の前立腺肥大症(排尿障害が強い場合)

相対禁忌・慎重投与:

  • ヘマトクリット54%以上(多血症)
  • 重度の心不全
  • 重度の睡眠時無呼吸症候群(未治療)
  • 挙児希望(子どもを望む場合)

最後の「挙児希望」は見落とされがちですが、非常に重要です。テストステロン補充は精巣からの自己分泌を抑制し、精子形成を障害します。将来子どもを望む可能性がある場合は、必ず医師に伝えてください。


実践チェックリスト:「自分は受診すべきか」を判断するために

おわりに:「年のせい」で片付けないために

男性更年期(LOH症候群)は、確かに存在する病態です。しかし同時に、過剰診断・過剰治療のリスクもある領域です。

「なんとなく調子が悪い」という漠然とした不調を、「テストステロンが足りないから」と単純化することは危険です。EMAS研究が示したように、真のLOH症候群はわずか2.1%。多くの方の不調には、別の原因があります。

一方で、本当にLOH症候群である方が、「年だから仕方ない」と見過ごされ、治療機会を逃しているのも事実です。特に性機能の明らかな低下がある場合は、血液検査を受ける価値があります。

私が臨床で感じるのは、中年期の男性は「弱音を吐けない」プレッシャーの中で生きているということです。仕事の責任、家族への責任——それらを背負いながら、自分の不調を後回しにしがちです。

しかし、医療は「弱音を吐く場所」ではありません。科学に基づいて、自分の身体の状態を客観的に把握し、必要な介入を行う場所です。この記事が、その一歩を踏み出すきっかけになれば幸いです。


本日のまとめ

  • 男性更年期(LOH症候群)の本質: テストステロン低下+症状(特に性機能症状)の両方が揃って初めて診断される。テストステロンが低いだけ、症状があるだけでは不十分。
  • 「真のLOH症候群」の有病率: 中高年男性のわずか2.1%。多くの「不調」には別の原因がある。
  • テストステロン補充療法の効果: 性機能改善には有効(エビデンスあり)。活力・認知機能への効果は限定的。
  • 安全性: 心血管リスク増加なし(3年まで確認)。前立腺がんリスクも生理的範囲内の補充では増加しない。
  • 判断に迷ったら: 性機能症状(性欲低下、早朝勃起減少、ED)が複数あれば、泌尿器科またはメンズヘルス外来を受診し、血液検査を。

参考文献

  1. 日本泌尿器科学会・日本メンズヘルス医学会. (2022). 加齢男性性腺機能低下症候群(LOH症候群)診療の手引き. (日本における診断基準・治療指針を定めた公式ガイドライン。15年ぶりの全面改訂版)
  2. Wu FC, et al. (2010). Identification of Late-Onset Hypogonadism in Middle-Aged and Elderly Men. N Engl J Med; 363:123-135. (欧州8カ国3,369名を対象としたEMAS研究。真のLOH有病率2.1%を示した画期的研究)
  3. Lincoff AM, et al. (2023). Cardiovascular Safety of Testosterone-Replacement Therapy. N Engl J Med; 389:107-117. (TRAVERSE試験。心血管安全性を確認した大規模RCT)
  4. Snyder PJ, et al. (2016). Effects of Testosterone Treatment in Older Men. N Engl J Med; 374:611-24. (TTrials。性機能改善効果と活力・認知機能への効果の限界を示した7つの協調試験)
  5. Shores MM, et al. (2006). Low Serum Testosterone and Mortality in Male Veterans. Arch Intern Med; 166:1660-1665. (低テストステロンと死亡リスク1.88倍の関連を示したコホート研究)
  6. Feldman HA, et al. (2002). Age trends in the level of serum testosterone and other hormones in middle-aged men. J Clin Endocrinol Metab; 87:589-598. (AMAS研究。テストステロンの年齢変化を示した前向きコホート研究)
  7. Morgentaler A, Traish AM. (2009). Shifting the paradigm of testosterone and prostate cancer: the saturation model. Eur Urol; 55:310-320. (Saturation Model。前立腺がんリスクに関する70年の定説を覆した理論)
  8. European Association of Urology. (2025). EAU Guidelines on Sexual and Reproductive Health. (国際的な診断・治療基準を示す欧州泌尿器科学会ガイドライン最新版)

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