はじめに——「最近、テレビを近くで見るんです」
外来でよく相談される一言です。「ソファに座ったはずなのに、いつの間にかテレビの前まで近づいている」「教科書を顔にすごく近づけて読んでいる」「学校から渡された視力検査の用紙に『B』がついていた」——お子さんの近視の入口は、こんな小さな変化から始まります。
近視は「眼鏡をかければ済む」と長く考えられてきました。実はここ10年で、その常識は大きく変わりました。近視は「進行を遅らせられる」、そして「発症そのものを遅らせられる」病気になってきています。2024年12月には日本で初めての近視進行抑制薬も承認されました。
この記事では、日本のいまの現実、何が効いて何が効かないのか、家で・眼科で何ができるのか——お子さんの目を守るために必要なことを、できるだけ正直にお伝えします。
日本のいま——14歳以下の36.8%が近視
2025年、日本で初めての全国規模データが公表されました [1]。京都大学のチームが、健康保険の全国データベース(NDB)を使って約1,500万人の14歳以下の小児を解析したものです。
結果は静かな衝撃でした:
- 14歳以下の近視有病率: 36.8%(約550万人)
- 新規発症のピークは 8歳
- 強度近視(-6 D 以上)は10〜14歳で0.46%(およそ1,000人に4〜5人)
- COVID-19の自粛期(2020年)で、8〜11歳の発症が不連続に急増
「3人に1人」「8歳でピーク」というのが、ここ数年の日本の現実です。学校健診の裸眼視力1.0未満率は小学生で約37%、中学生で約61%にのぼり、この30年でほぼ2倍に増えました。
世界に目を向けると、2050年までに子どもの3人に1人以上(39.8%)、7億4千万人以上が近視になると予測されています [13]。日本だけの話ではありません。
なぜ近視は「ただの目の悪さ」ではないのか
近視は単に「ピントが合いにくい」という光学的な問題ではありません。子どもの目で実際に起きているのは——眼球そのものが、前後に伸びているということです。
正常な眼球は前後径(眼軸長)が約24mmです。これが、近視の進行とともに少しずつ長くなっていきます。眼軸長が26mmを超えると「強度近視」、28mm以上では「病的近視」と呼ばれる領域に入ります。
眼軸長は、一度伸びると戻りません。だから子ども時代の進行を抑えることに意味があるのです。そして、強度近視まで進んでしまうと、将来こんなリスクが上がります:
- 網膜剥離 — 引き伸ばされた網膜が剥がれやすくなる
- 近視性黄斑症 — 中心視野を担う黄斑部が萎縮する
- 緑内障 — 視神経が傷つきやすくなる(将来の失明原因の上位)
- 白内障の早発 — 通常より10〜20年早く発症することがある
国際近視学会(IMI)の2025年のコンセンサスでは、こうまとめられました [11]:
「近視の発症を1年遅らせる方が、何年も進行を抑えるより、生涯のベネフィットが大きい」
これは大きな視点転換です。「症状が出てから対応する」のではなく、「発症する前から予防する、発症したら早く止める」が世界の標準になりつつあります。
何が効いて、何が効かないのか——4つの選択肢
ここからは、進行を抑える現代の主な選択肢を、正直なエビデンスサイズで見ていきましょう。
1. 低濃度アトロピン点眼——日本で初めて承認された薬
アトロピンは伝統的に瞳孔を開く薬として使われてきました。実は、極めて低い濃度(0.01〜0.05%)にすると、副作用がほぼ気にならないまま近視進行を抑制することが、香港のLAMP研究で明らかになりました [3]:
- 0.05%アトロピン: 1年の屈折進行を約67%抑制(-0.27 D vs プラセボ -0.81 D)
- 0.025%アトロピン: 約43%抑制
- 0.01%アトロピン: 約27%抑制
シンガポールのATOM2研究(5年フォローアップ)では [5]、意外な逆転が起きました。一番高濃度(0.5%)のグループは、治療をやめた後の「リバウンド(再進行)」が大きく、5年累積では最低濃度0.01%が最も進行を抑えていたのです。これがいま「低濃度がベスト」と言われる根拠です。
ただし2023年、米国の小児を対象とした研究(CHAMP)[6] では、0.01%が無効という結果が出ました。東アジア系小児と異なり、米国の多人種小児では効果が確認できなかった——という重要な但し書きも加わっています。
2024年12月、日本で初めての近視進行抑制薬「リジュセア®ミニ点眼液 0.025%」(参天製薬)が承認されました [2]。国内治験では、2年で約38%の進行抑制効果を示しています。
ただし、大事なポイントが2つあります:
- 保険適用なし — 自費治療です(月額数千円〜1万円程度、施設による)
- 「効くが万能ではない」 — 38%抑制は素晴らしい数字ですが、進行が「止まる」わけではありません
日本近視学会も2025年10月、専門医向けの「低濃度アトロピン点眼液による近視進行抑制治療の手引き」を公開しました [14]。
2. DIMSメガネ(MiyoSmart)——第二の選択肢
「点眼薬は子どもが嫌がる」「自費は厳しい」というご家庭に、もう一つの選択肢があります。多分節非球面レンズ(DIMS)、商品名「MiyoSmart」(Hoya社)です。
普通のメガネと見た目はほぼ変わりません。レンズの中央は通常通り視力を矯正し、周辺部に小さなマイクロレンズが無数(396個)配置されていて、これが網膜の周辺に「ぼやけた像」をわざと作ることで眼軸長の伸びを抑える仕組みです。
香港のRCTでは、2年間の効果がこう報告されています [7]:
- 屈折進行: DIMS -0.38 D vs 通常メガネ -0.93 D(59%抑制)
- 眼軸長伸長: DIMS 0.21 mm vs 通常メガネ 0.53 mm(60%抑制)
- 21.5%の子どもが2年間ほぼ進行ゼロ(通常メガネでは7.4%)
費用は1セット5〜8万円程度。日本でも処方可能ですが、自費です。
3. オルソケラトロジー(Ortho-K)——夜つけるコンタクトレンズ
夜寝るときに特殊なハードコンタクトレンズをつけ、角膜の形を一時的に矯正する方法です。日中は裸眼で過ごせます。Cochraneのネットワークメタアナリシスでは、Ortho-Kの2年の眼軸長抑制効果は -0.28 mm と、低濃度アトロピンとほぼ同等の効果が示されています [8]。
費用は初年度15〜20万円、その後年5〜10万円程度。自費治療で、子どものコンタクト管理が必要なため、現実的には8〜10歳以降からの選択肢になります。
4. 屋外活動(Outdoor)——予防には強く、進行抑制には弱い
外遊びの時間が長い子どもは近視になりにくい——これは強いエビデンスです。25研究のメタアナリシス [9] では、屋外時間が多いほど近視の新規発症リスクが約46%下がる(RR 0.536)ことが示されています。
ただし重要な但し書きがあります: すでに近視のある子どもの進行を、外遊びで抑える効果は弱いのです。つまり——
外遊びは「予防の決め手」、点眼薬・メガネ・Ortho-Kは「治療の選択肢」。役割が違います。
中国のJAMA Pediatricsに掲載されたRCTでは [10]、1日2時間の放課後外遊びを増やしても、数学の成績は落ちなかったことも確認されています。「外遊びを増やすと勉強できなくなる」という心配は、エビデンス上は不要です。
日本で選べる治療オプション比較
2026年5月時点で、日本のお子さんが実際に選べる選択肢を整理しました。
| 治療法 | 商品名 | 日本での提供開始 | 主な特徴 | 適応年齢の目安 | 費用の目安 |
|---|---|---|---|---|---|
| 低濃度アトロピン | リジュセア®ミニ 0.025%(参天) | 2025年4月発売 | 日本初の近視進行抑制承認薬。1日1回就寝前点眼 | 学童期(6〜12歳中心) | 自費 月5千〜1万円 |
| 同上(適応外) | アトロピン 0.01% / 0.05% 院内製剤 | 2014年頃〜一部眼科 | 一部眼科で適応外処方 | 同上 | 自費 月3千〜8千円 |
| DIMSメガネ | MiyoSmart(Hoya) | 2021年〜 | 周辺ぼかし396マイクロレンズ。見た目は普通のメガネ | 8〜13歳中心 | 自費 5〜8万円/セット |
| オルソケラトロジー | 各社カスタムハードレンズ | 2009年承認(自費) | 夜装着、昼は裸眼 | 概ね8〜10歳以降 | 自費 初年度15〜20万円 |
| 多焦点ソフトコンタクト | MiSight(CooperVision)等 | 一部施設 | 周辺ぼかし設計、昼装着 | 8〜12歳中心 | 自費 月8千〜1.5万円 |
重要なポイント(2026年5月時点):
- どれも保険適用なし(近視進行抑制は日本の保険診療にまだ位置づけられていない)
- 効果サイズは個人差が大きい——全員に同じだけ効くわけではない
- 治療を中止すると一定のリバウンドがある(低濃度ほど軽微)
- 2つを併用するケースも徐々に増えている(アトロピン + DIMSなど)。ただし併用の長期エビデンスはまだ蓄積段階
選択は、お子さんの年齢・進行速度・性格(点眼を嫌がるか)・ご家庭の経済負担で決まります。眼科で相談する際の重要な判断軸です。
家でできること——今日から始める4つ
医療機関に頼る前に、家庭でできる「土台」があります。これは無料で、エビデンスもしっかりしています。
1. 外遊び 1日2時間(最重要)
これが唯一、無料で確実にエビデンスのある予防策です [9]。週末にまとめて長く外に出るより、毎日少しずつの方が良いことも分かっています。野外スポーツ、公園遊び、犬の散歩、徒歩通学——種類は問いません。日光の波長と網膜のドーパミン放出が関与している、というのが現在の有力仮説です。
2. 30-30ルール
近見作業(タブレット、スマホ、読書、勉強)は30分連続したら、30秒間、6 m以上遠くを見るという習慣をつけます。眼の調節を「リセット」するのが狙いです。タイマーをセットしてあげるのが現実的でしょう。
3. 部屋を明るく
文部科学省の学校環境基準は「教室500ルクス以上」。家でも勉強机の上は500ルクス以上を目指します。スマートフォンの照度計アプリでも測定できます。「ちょっと暗いかも」と感じる部屋での勉強は近視リスクを上げます。
4. 学校健診の視力推移をチェック
毎年5〜6月に行われる学校健診の結果用紙を捨てずに保管してください。前年と比べて視力が下がっている、特に「B以下」(0.7〜0.9)になった、もしくは「C/D」(0.3〜0.6 / 0.3未満)に下がったら、進行性近視のサインです。
眼科で相談するタイミング——「Bになった」がひとつの目安
「眼科に行くタイミングがわからない」というご相談をよく受けます。私の臨床感覚と、IMI 2025の予防重視の方針 [11] を踏まえると、こんな目安です:
| サイン | 推奨アクション |
|---|---|
| 学校健診で B以下(0.7〜0.9)がついた | 眼科で屈折検査 + 眼軸長測定 |
| 家で 近づいて見る癖 が出てきた | 同上 |
| 8歳前後 + 親に近視がある | 強度近視リスク評価のため早めに眼科で相談 |
| 既に近視(-1.0 D以上)で、1年で -0.5 D以上進行 | 「進行性近視」として、進行抑制治療の検討 |
眼科で相談する際は、こんな点を聞いてみると有用です:
- 眼軸長は何mmで、前年と比べてどれくらい伸びたか
- 進行性近視の場合、低濃度アトロピン(リジュセア)・DIMSメガネ・Ortho-K のいずれを推奨するか
- 学校健診の視力推移を見せて、「経過観察」「治療開始」のラインがどこにあるか
「不要な受診」を勧めるつもりはありません。ただし、強度近視への進行は不可逆です。8歳でB以下、1年で-0.5 D以上進行、家族歴あり——このどれかが当てはまるなら、眼科で一度きちんと評価してもらう価値は十分にあります。
科学の現在地:わかっていること、まだわからないこと
わかっていること:
- 日本の小児の36.8%が近視、ピークは8歳 [1]
- 低濃度アトロピン(0.025〜0.05%)は屈折進行を約30〜60%抑制 [3][2]
- DIMSメガネは屈折・眼軸長とも約60%抑制 [7]
- Ortho-Kは眼軸長を2年で約 -0.28 mm抑制 [8]
- 外遊びは発症予防に有効(RR 0.536)[9]
- 強度近視は不可逆で、将来の網膜・視神経合併症のリスクを上げる
- 発症の遅延 > 進行の抑制 という生涯ベネフィット理論(IMI 2025)[11]
まだわからないこと:
- 日本人での効果サイズは小規模治験のみ——香港LAMP研究を主に参考にしている
- 治療の最適な開始年齢、終了年齢、最適濃度はまだ研究中
- 超長期(10年以上)のフォローアップデータが少ない
- 治療併用(アトロピン + DIMSなど)の長期エビデンスはまだ蓄積段階
- スクリーンタイム単独の独立寄与は、近見作業との分離が困難
- 保険適用の見通し——当面は自費治療が続く可能性
おわりに——「眼鏡で済む」から「進行を抑える」へ
近視は「眼鏡をかけたらおしまい」の時代から、「進行を抑える、できれば発症を遅らせる」時代に変わりました。それでも、家庭でできる土台(外遊び・30-30・明るさ)が最初の柱で、眼科の治療(リジュセア・DIMS・Ortho-K)はその次の柱です。
お子さんが「最近テレビを近くで見る」「学校健診の用紙にBがついた」と感じたら、まずは外遊び2時間を生活に組み込んでみてください。それでも進行が見られたら、眼科で眼軸長を測ってもらう。年に1度の小さなチェックが、20年後、30年後の網膜と視神経を守ります。
「日本人の3人に1人」のなかで、できることはあります。ひとつずつ、無理のないところから始めていきましょう。
