はじめに——「ボケたくない」と外来で言えない人へ
外来で「先生、認知症になりたくないんです」と切り出される方は、実はあまりいません。多くの方は「親が認知症で…」「最近、人の名前が出てこなくて…」と、少し遠回しに、不安を口にされます。
正面から「予防したい」と言いにくいのは、当然のことだと思います。確実な予防法があると断言できる病気でもなく、家族や医師に率直に聞くと「気にしすぎ」と返されてしまうかもしれない——そんな感覚があるのではないでしょうか。
ここで、一つだけ、知っておいてほしい数字があります。
世界の認知症エビデンスを統合した2024年のLancet Commissionは、理論上、認知症の約45%は予防または発症を遅らせることができると報告しました [1]。残りの55%は遺伝や老化そのものなど、現時点では手の届かない要因です。
「半分は防げる、半分は防げない」——これが2026年現在、世界の認知症研究が到達した、もっとも正直な答えです。
ただし、これは世界全体で全14因子に完璧に介入できた場合の理論上の最大値です。あなた一人が今日からリスク因子をすべて整えても、認知症発症リスクの絶対的な低下幅は、おおむね数%程度というのが現実的な見積もりです。それでも、10年後・20年後の自分の認知機能をいまの自分が「数%」でも変えられるなら——その数%は、十分に取りに行く価値があります。
この記事では、Lancet Commissionが示した14の修正可能リスク因子をひとつずつ整理し、日本人ならどの因子に力を入れるべきか、そして45歳から今日始められる具体的なアクションを、外来でゆっくりお話しする温度でお伝えします。
認知症は「もう手遅れ」じゃない——Lancet Commission 2024 の到達点
世界の認知症研究者24名で構成されるLancet Commission(ランセット委員会)は、2017年に9因子(予防可能性35%)、2020年に12因子(40%)、そして2024年に14因子(45%)へとリストを拡張してきました [1] [2]。
2024年に新しく加わったのは、中年期の高LDLコレステロール(PAF 7%)と高齢期の未治療の視力障害(PAF 2%)の2つです。
PAF(人口寄与危険割合)とは、「もしその因子が世界全体で完全に対処されたら、認知症の何%を減らせるか」という指標です。難しい統計の話ですが、ひとことで言えば「社会全体で見て、その因子がどれだけ認知症に効いているか」を表します。
毎日の食事や運動、補聴器の装用——すでに知られている習慣の積み重ねで、その数%を確実に取りにいくことができます。
14因子をライフコースで見る——いつ、何に力を入れるか
Lancet Commission 2024 とは独立に、複数のシステマティックレビューを統合した2024年のアンブレラレビューでも、喫煙・高血圧・糖尿病・肥満・運動不足・社会的孤立・教育・難聴が「確実性の高い修正可能リスク因子」として再確認されています [14]。世界の研究者が別々の道筋でほぼ同じリストにたどり着いた——これは、各国で独立した研究が同じ答えを出したということ。それだけ確実性が高い、ということです。
そのうえで、Lancet Commission 2024 は、14因子を「効きやすい年代」ごとに3層に分けています。これは、いつから始めるべきか、何に力を入れるべきかを考えるうえで、とても実用的な分け方です。
注目すべきは、14因子のうち10因子が中年期(45-65歳)に集中していることです。Lancet Commissionは「中年期がもっとも介入余地が大きい時期」と明確に述べています。
別の言い方をすると——50歳前後で読んでいるあなたは、いまがもっとも「やれることが多い時期」にいる、ということです。
中年期で押さえたい10因子
中年期の10因子は、ほぼすべて「健康診断で測れるもの」と「日々の生活習慣」に対応しています。
- 難聴(PAF 7%): 純音聴力検査で25dB以上の聴力低下があれば、補聴器装用を検討する
- 高LDLコレステロール(PAF 7%): 健康診断で LDL(悪玉コレステロール)が 140mg/dL 以上なら、生活習慣の見直しと、必要に応じてスタチン系の薬を検討する
- 頭部外傷(PAF 3%): 自転車・バイクのヘルメット、スキー・スノボーのヘルメット、転倒予防
- うつ(PAF 3%): 2週間以上続く気分の落ち込みは、ガマンせずに受診する
- 運動不足(PAF 2%): 週150分の中強度有酸素運動(早歩き相当)が国際標準の目安
- 糖尿病(PAF 2%): HbA1c(ヘモグロビン・エーワン・シー:過去1〜2ヶ月の血糖状態を示す指標)が 6.5%以上は糖尿病型と判定される領域、主治医と治療方針を相談する。血糖管理は認知症予防にも直結する
- 喫煙(PAF 2%): 何歳からでも禁煙の効果はある
- 高血圧(PAF 2%): 中年期の目標は130/80未満(後述のSPRINT-MIND試験)
- 肥満(PAF 1%): BMI(体格指数:体重kg ÷ 身長m²、25以上が過体重、30以上が肥満の目安)が 30以上は明確な減量を、25以上も食事・運動の見直しを
- 過剰飲酒(PAF 1%): 純アルコールで週に140g以下を目安に(日本酒なら1日1合まで)
それぞれは小さく見えるかもしれません。しかし、ここに挙げた10項目すべてに少しずつ手を打つだけで、PAFの合計は30%近くに達します。
「中年期の10年で、できることをコツコツ積み上げる」——この地味な戦略こそが、認知症予防のもっとも本質的なアプローチです。
マルチドメイン介入の科学——FINGER から US POINTER へ
「健康的な生活が良い」というだけなら、誰でも言えます。問題は、それを実際にやって、効果が出るのかです。
この問いに、世界で最初にRCT(ランダム化比較試験:くじ引きのように人を2群に分け、片方だけに介入することで効果を厳密に測る、もっとも信頼性が高いとされる研究方法)で答えたのが、フィンランドのFINGER試験(2015年、Lancet掲載)です [3]。
FINGERは、認知症ハイリスクの60-77歳の高齢者1,260名を対象に、4つの介入を2年間まとめて実施しました:
- 栄養カウンセリング(地中海食ベース)
- 運動プログラム(筋トレ+有酸素運動、週3-5回)
- 認知トレーニング(個別+グループ)
- 血管リスクモニタリング(血圧・体重・脂質・血糖の定期チェック)
結果は明確でした。介入群は対照群と比べて、認知機能全体のスコアで25%高い改善、実行機能(計画・判断力)で83%高い改善を示したのです。
これは「予防は可能だ」を世界で初めてRCTで示した、歴史的な試験でした。
米国版実証——US POINTER(2025)
その10年後の2025年、米国で行われたUS POINTER試験(JAMA掲載、2,111名)が、FINGERの結果を多人種コホートで再現しました [4]。
US POINTERのユニークな点は、「構造化された支援(Structured)vs 自助型(Self-Guided)」を比較したことです。前者は集団ミーティング38回+個別コーチング、後者は年6回のミーティングのみで目標設定は本人任せ。
結果は、両群とも認知機能が改善しました。差は0.029 SD/年(標準偏差を単位とする小さな差)と統計的には有意ですが、絶対値としては小さい。
私がこの結果を読んで重要だと思ったのは、「自助型でも一定の効果が出た」という事実です。手厚い構造化プログラムが理想だとしても、それが受けられない地域・状況の人にも、自分でやる価値はある。
日本人版——J-MINT の率直な結果
そして、日本人を対象にしたJ-MINT試験が2024年に発表されました [5]。65-85歳の軽度認知障害(MCI:Mild Cognitive Impairment=認知症の一歩手前、日常生活はおおむね自立しているが記憶などに低下が見られる状態)の患者531名を対象に、FINGERと同様の4ドメイン介入を18ヶ月実施した結果——
有意差は出ませんでした。
群間差は +0.047 で、95%信頼区間は -0.029 〜 +0.124。簡単に言えば「介入群がほんの少し良かったが、その差はゼロ(効果なし)の可能性も十分に残る」という結果です。プラスにはなったものの、統計的に「効いた」とは言い切れない結果でした。
これをどう解釈するか。私の本音を言うと、これは「日本人で介入が無意味」という意味ではなく、「日本人の対照群がすでに比較的健康的だった」という解釈が妥当だと思います。
日本人は、欧米と比べて喫煙率が低く、運動習慣(散歩・町内会・趣味サークル)も比較的維持されている。和食は地中海食に近い構成です。つまり対照群(普通に暮らしているグループ)と介入群(がんばっているグループ)の差が、もともとつきにくかった可能性が高い。
加えてJ-MINTはMCI患者を対象としており、既に認知機能の低下が始まっている集団でした。「予防」よりも「進行抑制」の局面にあたり、FINGERの「予防」とは状況が違います。
現在進行中のJ-MINT PRIME Tamba試験(認知機能正常の地域住民を対象、糖尿病・高血圧あり)の結果が、より直接的な答えをくれるはずです [6]。
食事は「単独」では予防できない——MIND食RCTのネガティブ試験
結論を先にお伝えします。「食事だけで認知症を防げる」という強い証拠は、現時点ではありません。ただしそれは「食事はどうでもいい」という意味ではありません——順を追って説明します。
MIND食(マインド食:Mediterranean-DASH Intervention for Neurodegenerative Delay、神経変性を遅らせることを目的に設計された食事パターン)は、地中海食とDASH食(高血圧予防食)を組み合わせた認知症予防向けの食事です。野菜・緑黄色野菜・ベリー・ナッツ・豆・全粒穀物・魚・鶏肉・オリーブ油・ワイン少量、という10の食品群を多めに、赤身肉・バター・チーズ・揚げ物・お菓子を控えめに——というシンプルな構成です。
観察研究では、MIND食を高アドヒアランスで実践した群はアルツハイマー病リスクが53%低いと報告され [8]、世界的に注目を集めました。
ところが、2023年にNEJMで発表されたMIND食のRCT(Barnesらの試験、604名・3年間)の結果は——有意差なしでした [7]。
群間差は +0.035(認知機能スコアの差で、p=0.23、つまり「この差は偶然のばらつきの範囲内」と判断される水準)。3年間、認知症リスクの高い人にMIND食を提供しても、対照食グループとの認知機能差は統計的に確認できなかったのです。
これをどう受け止めるか。
ひとつ大事なポイントは、「MIND食が悪い」のではないということです。RCTの対照群も「健康的な食事+カロリー制限+ピア支援」を受けていて、両群とも体重が5kg減り、両群とも認知機能が改善している。つまり「健康的な生活全体」は効いていて、「MIND食 vs 健康的な対照食」の差を取ろうとすると、3年では出なかった——というのが正確な解釈です。
地中海食のメタ解析(2024年、13研究)でも、地中海食をしっかり実践している群は認知症リスクが18%低い(リスク比 RR 0.82, 95%信頼区間 0.73-0.92)と報告されています [9]。観察研究レベルでは、健康的な食事パターンと認知機能保持の関連は一貫しています。
食事だけで認知症は防げない。でも、健康的な食事は確実にプラスに働く。
これが、いまの科学が示している誠実な結論です。
血圧管理の効果——SPRINT-MIND試験が示したもの
中年期から高齢期にかけて、もっとも科学的にしっかりした予防策のひとつが血圧管理です。
2019年にJAMAで発表されたSPRINT-MIND試験は、50歳以上の高血圧患者9,361名を対象に、厳格降圧(収縮期120未満)と標準降圧(140未満)を比較した大規模RCTです [10]。
結果:
- 軽度認知障害(MCI)の発症: HR 0.81(95% CI 0.69-0.95)——19%低下
- MCI+認知症の合算: HR 0.85(95% CI 0.74-0.97)——15%低下
- 認知症単独(probable dementia): HR 0.83(95% CI 0.67-1.04)——17%低下傾向、ただし有意水準にはわずかに届かず
血圧を10下げただけで、認知機能低下のリスクが15-19%下がる——これは、もっとも介入が現実的で、効果も明確な予防策と言えるでしょう。
日本高血圧学会のJSH2019ガイドラインも、75歳未満では130/80未満、75歳以上でも忍容性があれば130/80未満を目標値としており、SPRINT-MINDの結果と整合しています。ただし、高齢者では起立性低血圧や転倒のリスクもあるため、画一的に下げればよいわけではなく、主治医と相談しながら個別に決めていくことが大切です。
「健康診断で血圧が高めと言われた」——この一言を放置せず、3-6ヶ月の生活習慣修正(減塩・運動・減量)で改善しなければ、内科でしっかり相談する。これが、認知症予防のなかでもっとも効果の見込める一手です。
補聴器の意外な効果——ACHIEVE試験と日本の現状
Lancet Commission 2024 で、中年期最大の単一因子(PAF 7%)に位置づけられているのが難聴です。
「耳が聞こえにくいと、なぜ認知症リスクが上がるのか」——いくつかの仮説があります。聴覚から脳への入力が減ることで脳の使用頻度が落ちる「認知的負荷説」、難聴によって会話・社会参加が減る「社会的孤立説」、脳構造の萎縮そのものに難聴と認知症が共通の原因をもつ「共通原因説」など。どれも完全に証明されてはいませんが、おそらくこれらが複合しているのだろう、というのが現在の理解です。
そして2023年に、難聴介入を初めてRCTで検証したACHIEVE試験(Lin FRら、977名)が発表されました [12]。
主要結果は、全体ではHR 0.96(95% CI 0.83-1.11)と有意差なしでした。3年間の補聴器装用+聴覚リハ介入で、認知機能低下を全体としては防げなかったのです。
ところがサブグループ解析で、心血管リスクが高い高齢者(ARICコホート、238名)に限ると、補聴器なしの対照群と比べて認知機能の低下幅がおよそ半分に抑えられたことが示されました(補聴器群 -0.20 vs 対照群 -0.38、相対的に約48%抑制、95%信頼区間でも有意差あり)。
これをどう読むか。
「補聴器をつければ誰でも認知症を防げる」とは言えません。しかし、「心血管リスクが高い高齢者では、補聴器がはっきり効く」可能性は示されました。さらに、補聴器・人工内耳に関する31研究・約14万人を統合したメタ解析(Yeo BSYら、2023)では、装用群は非装用群より認知機能低下リスクが19%低い(HR 0.81, 95% CI 0.76-0.87)と報告されています [13]。
そして、ここで日本の現状を率直にお伝えしなければなりません。
日本の補聴器装用率は、難聴者の約14%にとどまっています。米国・ドイツでは35-40%が標準です(日本補聴器工業会 Japan Trak 2022)。
「補聴器をつけるほどではない」「使いこなせなさそう」「値段が高い」——理由はさまざまですが、日本では「難聴を放置する」ことが文化的にも経済的にも、まだ当たり前になっているのが実情です。
聴力検査で25デシベル(dB:音の大きさの単位。25dBは静かな部屋でのひそひそ声が聞き取りにくくなる程度)以上の聴力低下があれば、補聴器装用は本来、検討すべき選択肢です。難聴の早期対応は、認知症予防というよりまず、会話の楽しさ・社会参加の維持という、日々の人生の質に直結します。認知症予防はそのおまけと思って、ぜひ一度、耳鼻科で聴力検査を受けてみてください。
運動はどれくらい効くか——250万人のメタ解析
「運動が認知症予防に良い」——これは広く知られるようになってきました。実際のデータを見てみましょう。
2022年にBritish Journal of Sports Medicineに発表されたメタ解析(Iso-Markkuら、58研究、約250万人)では、身体活動量の高い群は低い群と比べて、認知症リスクが17%低い(RR 0.83, 95% CI 0.78-0.88)と報告されています [11]。
ただし、興味深いのは、フォローアップ期間が20年以上の研究に絞ると、効果が減衰することです(RR 0.94)。これは「逆因果」——つまり、認知症の初期段階で活動量がすでに落ちている可能性——を示唆しています。「運動しないから認知症になる」ではなく、「認知症の前段階で運動しなくなる」という流れも一定あるということです。
それでも、運動の効果がゼロではない。WHO 2019ガイドラインも、運動を強推奨としています [20]。
実践的な目安は、週150分の中強度有酸素運動(早歩き相当)+週2回の筋力トレーニングです。これはWHOの一般成人向け推奨と同じで、認知症予防専用の特別なメニューがあるわけではありません。
「毎日30分の散歩を5日間」または「週末にウォーキング75分を2回」——どちらでも構いません。続けられる形で、続けることがいちばん大事です。
日本人の認知症は実際に減っている——久山町研究の希望
ここまで世界のデータを中心にお話ししてきましたが、日本独自の重要な研究があります。
久山町研究——福岡県久山町で1961年から続く、世界でもっとも長く続いている疫学コホート研究のひとつです。
久山町の65歳以上の認知症有病率は、1985年に6.7%、その後2012年には17.9%まで上昇しました。「日本は超高齢社会になり、認知症は増え続ける」という社会的な前提のなかで、これは想定通りの増加でした。
ところが、2022年の最新調査で、12.1%まで減少したのです。
これは何を意味しているか。専門家のあいだでも解釈は分かれていますが、有力な仮説のひとつは「Lancet 14因子の改善が、日本でもすでに起きている」というものです。教育水準の向上、喫煙率の減少、血圧管理の浸透、糖尿病治療の改善——個々の介入が、集団レベルで認知症の発症を遅らせ始めている可能性があります。
JPSC-AD研究(全国8地域、10,000名超の前向きコホート)は、久山町研究を全国に拡張したもので、2020年から本格運用されています [16]。今後10年で、日本人の認知症リスク因子のより詳細なエビデンスが出てくるはずです。
日本は、世界でもっとも認知症が増える国であると同時に、世界でもっとも認知症予防のチャンスがある国でもある——これが2026年現在の、日本の立ち位置です。
日本で改善余地が大きい3つの因子
Lancet Commission 2024 の14因子のうち、日本人がとくに力を入れるべき3つを挙げます。これらは「日本ではまだ十分に対処されていないが、対処すれば大きな効果が見込める」因子です。
1. 難聴——補聴器装用率を上げる
すでに述べたとおり、日本の補聴器装用率は約14%。欧米の30-40%と比べて圧倒的に低い。Lancet 14因子のなかで難聴は最大のPAF(7%)を占めており、ここを改善するだけで個人レベルでも集団レベルでも、大きな違いが出る可能性があります。
今日できること: 50歳を過ぎたら、3-5年に1回は耳鼻科で純音聴力検査を受ける。25dB以上の聴力低下があれば、補聴器の検討を始める。値段が気になる場合、認定補聴器技能者のいる店で試聴・調整できる集音器・補聴器を選ぶ。
2. 高LDLコレステロール——中年期の数値管理
2024年に新しく14因子に加わった高LDLコレステロールは、メンデルランダム化解析(遺伝的に決まるLDL値と認知症発症の関連を見る手法)で因果関係が示唆された因子です。
今日できること: 健康診断でLDLコレステロールを毎年チェックする。140mg/dL以上が続くなら、まず食事と運動の見直しを3-6ヶ月。それでも改善しなければ、内科でスタチン療法を相談する。動脈硬化リスク(年齢・性別・糖尿病・喫煙)と組み合わせて目標値が決まります。
3. 社会的孤立——「人と会う機会」を維持する
高齢期最大の因子(PAF 5%)が社会的孤立です。日本は単身世帯が増え続けており、とくに男性高齢者の孤立が深刻です。
今日できること: 週に1回以上、家族以外の人と会話する機会を作る。趣味のサークル、町内会、ボランティア、定期的な習い事——形は何でもよい。退職後の「予定がない日」を意図的に減らす。
これら3つは、それぞれPAFで見ると7%・7%・5%。合計で19%——「予防可能な45%」の中で、日本人にとってもっとも大きな割合を占めるグループです。
45歳から始める実践チェックリスト——14の項目
ここまでの話を、今日から実践できる形にまとめます。45歳以上の方が、自分の健康診断結果や日常を見直すためのチェックリストです。
中年期(45-65歳)の方へ
- 血圧: 健康診断で測る。130/80以上が続くなら、減塩・運動・減量を3-6ヶ月、それでも下がらなければ内科で相談する
- LDLコレステロール: 健診で140mg/dL以上なら、食事と運動を見直す。動脈硬化リスクが高ければスタチンを検討する
- HbA1c: 6.5%以上なら糖尿病。すでに診断されているなら、目標値(多くは7.0%未満)を主治医と確認する
- 聴力: 3-5年に1回、耳鼻科で純音聴力検査を受ける。25dB以上の聴力低下があれば、補聴器を検討する
- 運動: 週150分の中強度有酸素運動(早歩き相当)+週2回の筋力トレーニング
- 禁煙: いま吸っているなら、何歳からでも禁煙は遅くない。禁煙外来はニコチン依存症と診断されれば保険適用で利用できる(35歳以上は「1日喫煙本数×喫煙年数」が200以上が条件、35歳未満は本数条件なし)
- 飲酒: 純アルコールで週140g以下(日本酒なら1日1合まで)を目安に
- 体重: BMIを25未満に近づける。30以上なら明確な減量目標を設定する
- うつ: 気分の落ち込み・興味の喪失が2週間以上続いたら、心療内科や精神科に相談する
- 頭部外傷予防: 自転車・バイク・スキー・スノボーはヘルメット着用。家の中の転倒予防(カーペットの段差・夜間照明)も大切
なお、脳卒中既往のある方は、認知症リスクが一段階上がります。糖尿病・心房細動(脈の乱れの一種で、脳梗塞リスクを高める不整脈)・脳の白質高信号(MRIで見える脳の血管病変の蓄積を示すサイン)・75歳以上が、脳卒中後の認知機能低下リスク因子として確認されています [17]。脳卒中の再発予防(抗血小板薬・血圧管理・心房細動への対応)は、認知症予防にもそのまま直結します。すでに脳卒中を経験された方は、主治医と二次予防の方針を改めて確認してみてください。
高齢期(65歳以上)の方へ
- 視力: 年1回の眼科受診で、白内障・緑内障・加齢黄斑変性を早期発見する
- 社会参加: 週1回以上、家族以外の人と会話する機会を持つ。形は問わない
- 認知活動: 読書・学び直し・新しい趣味——脳を使う機会を続ける
- 大気汚染: 都市部の方は、PM2.5の濃い日は外出を控えるなどの対応を
毎日全部やる必要はありません。いまの自分が手をつけられる項目を1-2個選び、3ヶ月続けてみることから始めてください。次の3ヶ月で、また別の項目を追加していけば、1-2年で14項目のかなりの部分をカバーできます。
科学の現在地——わかっていること、まだわからないこと
認知症予防の科学は、ここ10年で急速に進みました。一方で、まだ答えが出ていないこと、率直に「わからない」と言うべきことも多くあります。
わかっていること
- マルチドメイン介入(食事+運動+認知活動+血管リスク管理)は、認知機能低下のスピードを遅らせる(FINGER, US POINTER)
- 中年期の血圧管理(120-130未満)は、認知機能低下リスクを15-19%下げる(SPRINT-MIND)
- 補聴器は、心血管リスクの高い高齢者では認知機能低下を抑制する(ACHIEVE)
- 運動は、量にかかわらず一定の保護効果がある(メタ解析、約250万人)
- 教育・喫煙・血圧・糖尿病の改善は、集団レベルで認知症有病率を下げる(久山町研究)
まだわからないこと
- 食事介入が単独で認知症を予防できるかどうか(MIND食RCTは有意差を示せなかった)
- 介入の最適な開始時期(45歳より前から始めるのが理想なのか、それとも45歳からでも十分なのか)
- APOE ε4遺伝子(アポリポプロテインE:脂質代謝に関わる遺伝子型のひとつで、ε4型はアルツハイマー病リスクを高めることが確認されている)保有者(日本人で約9%)に対して、特別な予防戦略が必要かどうか
- 帯状疱疹ワクチンに、本当に認知症予防効果があるのかどうか(観察研究では31%リスク減 [15] と報告されているが、メカニズム未確立)
- 薬剤による認知症一次予防(アスピリンは効果なし、抗アミロイド薬は治療目的で予防効果は未確認、メトホルミンは現在TAME試験で検証中)
日本のエビデンスがこれから出てくる
J-MINT PRIME試験(健常高齢者対象)の結果、JPSC-AD研究(全国8地域コホート)の長期追跡結果——これらは2026-2030年にかけて発表される見込みです。日本人独自のリスク因子と介入効果が、より明確になっていくでしょう。
日本人を対象としたポリジェニックリスクスコア(PRS:Polygenic Risk Score、多数の遺伝子変異 SNP の組み合わせで遺伝的リスクを点数化したもの)の研究も進んでおり、APOE ε4遺伝子の効果は日本人でも明確である一方、他のリスクとなる遺伝子変異は欧米と完全には一致しないことが分かってきました [19]。将来は、遺伝的リスクに応じた個別化予防が可能になるかもしれません(ただし、現時点ではまだ臨床応用の段階ではありません)。
性差の問題
もうひとつ、誠実に触れておきたいのは性差です。久山町研究の最新データでも、65歳以上の認知症有病率は女性14.1% vs 男性9.8%と、女性のほうが高い。世界的にも、女性のアルツハイマー病有病率は男性の約2倍と報告されています(寿命差を除いても約1.3倍)[18]。
理由はひとつではありません。閉経後のエストロゲン低下、就業期間や教育機会の歴史的な差、社会参加の機会の違い——複数の要因が絡んでいます。この点は、これから女性向けの予防策として研究が進む段階にあります。
おわりに——半分は防げる、その半分を本気で取りに行く
冒頭の数字に戻ります。
理論上、認知症の45%は予防可能。残りの55%は現時点で手の届かない領域。
「半分しか防げない」と感じるか、「半分も防げる」と感じるかは、人によって違うと思います。
でも私は、外来でこの話をするとき、「半分も防げる」と伝えるようにしています。なぜなら、認知症は患者さん本人だけでなく、家族の人生にも長く深く影響する病気だからです。10年後、20年後の自分と家族のために、いま手を打てる選択肢があるなら——それは、たとえ完璧な予防ではなくても、十分に価値のあることだと思うのです。
そして、Lancet 14因子のリストを眺めていて気づくのは、これらすべてが「認知症予防のため」でなくとも、すでに健康のために推奨されていることだという事実です。血圧管理、運動、禁煙、適正体重、難聴対応、社会参加、うつのケア——どれも、心血管疾患・糖尿病・がん・骨粗鬆症など、ほかの病気の予防にも効きます。
つまり、認知症予防のために特別なことをしなくてもいい。すでに健康診断で言われていることを、ひとつずつ丁寧に積み上げていけば、結果として認知症のリスクも下がっていく——というのが、いまの科学の到達点です。
45歳のあなた、55歳のあなた、65歳のあなた——いまの自分にできる一歩を、今日から始めてみてください。半分は防げる、その半分を本気で取りに行く。それで十分です。
